2026年2月
国民の審判は終わった。
国民の怒りの審判と感じない人は悲しい。
消費税廃止、減税より長年の虐げられたような苦しい生活の中での悲鳴うっぷんを晴らしたように思えて成りません。
従って、これからの自民党の責任は重いと感じました。
そこで、最後に財源のない財政にもの申したく述べたいと思います。
消費税廃止、減税が野党のスローガンだった事の間違いだったことをこれから考えて行きます。
問題はMMT理論は良く分かっていない状況で問題点からみることにします。
1、国債は現金だから幾ら発行しても問題ない。
2、海外資産などが豊かに有るから国債をまだまだ増加しても大丈夫
3、国債は返済をしなくて良い
4、国債は次世代へは引き継がない
5、国債のデフオルトは無い
6、貨幣発行で国債を償還すれば良い
以上の6点について考えてみます。
1、国債は現金だから幾ら発行しても問題ない
国債は金融商品ですので販売すれば現金に成ることは間違いありません。しかし、国債の発行からの仕訳の考え方の様でしたので、後で説明してあります。また、いくら発行しても国債は現金だから問題無いことにはなりません。
2、海外資産など資産が豊富に有るから、国債を幾ら増やしても大丈夫だ
バランシートの上から見て、その資産の債券現預金を除いた資産は、すぐ資金化出来る資産なのか、また、債券もすぐ売却出来るものなのかです。
3、国債は返済しなくても良い
国債には満期が有る以上返済償還の義務がある。
4、国債は次世代には引き継がない
満期日に税収で返済出来ない以上は、新たに国債を発行しなくてはならない、その時期に財政赤字で国債を発行する必要がある場合、満期返済の国債と、その期の国債を上乗せすることに成る。これが次世代には影響しないとは言えない。
5、国債のデホルトは無い
国債の満期時の再交付と、新たな国債発行を含め繰り返して行くと、国債は雪だるましきに増加、その結果買い手がなくなり、返済償還が出来なくなる時が来るのでデホルトは起きないとは言えない。
全て日銀が引き受けることに成っても、國際的に信用は急落する。それ以前い日銀が直接引き受ける時点で信用はなくなる。
6、貨幣を発行して、国債を返済すれば良い。
貨幣発行で国債を返済償還する場合、政府が貨幣を発行しなければならない、政府は貨幣を発行できるようですので、政府が発行した現金で国債を買い取るので、国債は無くなるが、貨幣発行負債は残る。国債が貨幣発行負債に変わるだけで負債は減りません、また、国債金利は省かれますが、国債が現金にかわるので市中に現金が溢れハイパーインフレ等市場が混乱経済に悪影響が出る可能性は大です。 さらに、償還と同時に赤字財政に政府財政支出を現金発行するなら、 ますます現金が溢れかえります。尚、日銀が発行した現金で国債を減額する方法もあります。日銀が発行した現金を政府に貸付、政府が借入れた現金で国債を償還することもできますが、結果は同じで国債と発行銀行券勘定に変わるだけで負債は減りませんが、政府に渡す現金の仕訳の貸付が膨大な金額に成り、それに対して政府の借入れ返済は出来ません。従って政府の貨幣発行による償還しかできないのです。それに、日銀の大規模な債務超過に陥った時も、国債発行での保護ではなく政府発行の現金でしか保護は出来なくなります。尚、日銀と政府は同じ財布という考え方は、財務省と株式会社という別事業で全くの出鱈目です。また、金融と財政は同じということになり、まったく違うことは次で説明してます。
以上6点の問題点から考えてみましたが、静的に見れば全て問題の通りでしょうが、しかし、動的にみると、その背後の市場での産業利潤や金利等金融の動きを見る必要があると推察できます。
尚、貨幣である現金は勘定科目として市場の中の損益で、預金、債権投資等資産、それに借入金など負債勘定の姿で変動することは間違いありませんが、大問題はどうして国債は現金だと、現金が国債として運用され事業主または家計まで全ての仕訳を同一視し相殺することで、国債は現金になるとするのか、確かに国債発行から家計までの現金の流れの仕訳を相殺すると、国債は現金となりますが、それ以前に現金発行の時の現金と発行銀行券という仕訳と、銀行が国債を買い取るという仕訳もあるので、すべてを相殺整理すると、現金と発行銀行券が残るのです。したがって国債は現金とはなりません。また幾ら国債を発行しても問題ないと言うことにはなりません。 そして、財政と金融は全く違う事を認識すべきです。
財政は産業活動による収益利潤から納税され、政府が経済政策として運用される。金融は現金として日本銀行から発行運用され、市場操作を計ることの役割があります。
仮に国債は現金になるので税収不足の財政を国債に頼り、国債を幾ら発行しても問問ない、海外資産等資産が十分に有るから、国債発行を増加しても大丈夫だと、税収不足の財政を国債という金融に任せるということは、財政と金融がイコールということ成ります。そして、産業活動利潤は不要となることに、これは、ロビンソンの完全競争(生産=消費)の静態が実現出来れば利潤は消滅する。とは、共産党宣言が説明出来るようですが、これを逆にみて利潤が重要でなく0なら、完全競争で静態が実現することになる。そこには共産主義体制の世界となる。しかし、現在の日本経済の自由体制のもとでは、完全競争ではなく不完全競争なので、利潤0無視=完全競争で静態の図式は成立しない、従って財政を国債という金融に頼らずに、利潤というものが最も重要だということに成ります。しかし、市場での金融利潤は相場に左右する。それに、0金利・異次元の量的金融緩和政策によるトリクルダウンも実現が出来なかった歴史が有ります。 そして、経済をバランシートなど静態でみて考えることの間違い易さをロビンソンは次のように語っています。
近代経済学は経済の静態分析にかけては精密な理論を持っているが、マルクス理論の中に豊かにもりこまれたような長期動態の分析に乏しい、その点でケインズの有効需要の理論は、資本主義の運動法則を解明するための手掛かりを与えるものである」。(世界十五大経済学マルクスとケインズ、富士書房出版、ロビンソン経済209ページより)
消費税廃止、減税論者は財源を国債に求め、廃止減税が消費にまわり、投資ー生産で生産性が上がり経済は活性するという。ようするに消費の低迷が経済を停滞させているとしている。これが消費税廃止減税論者の言い分ですが、考えてみると消費性向が低く、価格競争による産業空洞化の日本、産業利潤のうち永遠に上がり続ける筈もない相場による金融利潤に頼る日本が廃止、減税した分が投資―生産−所得ー消費―再投資と経済が循環して、本来の経済活動で利潤の増加で経済活性化が実現できるのかです。価格競争に産業空洞化が視野に入っていないのです。選挙のためだけに廃止減税で財源は国債だと言うようでした。それも国債の認識不足が有るように思えてならないのにです。 自民党の高市総理の「強い日本」のキャッチフレーズに野党が吹き飛んだ形でした。しかし、消費税廃止、減税だけでなく、財源を国債だけでないと思考できるのですが?。
追記
経済の安定は為替の安定が不可欠な所、1$=120円が妥当だとする評論家いるようですが、仮に、何かのことがあり急激な円高が進んだ場合、円高は多くの資産が失われ、デフレに悩ませられます、一方、円安は資産は得られますがインフレに悩まされられます。従って今の水準の円安のうちに構造改革(産業利潤追求)が進むことが望ましいと願ってやみません。今後の政治経済の復活と社会の平穏を祈るばかりです。