やっぱりMMTに飛びつくべきではないたった一つの確かな理由
7/18(土) 8:33配信
MMT理論に抱いた「違和感」
経済学の「科学革命」と支持者から言われる、MMT(現代貨幣理論・Modern Money Theory)によると、政府はもっと臆せず財政出動していい。どんどん金を使っていいことになる。なぜなら、国債の元本も利子も、貨幣を刷ることによって、いくらでも、確実に返済できるからだ。それが事実なら平成から続く、この日本を覆う重い閉塞感は打破できるかもしれない。そこに反緊縮派の一部の野党や一部のリベラル派が飛びついた。
MMT理論に基づいて、もっと財政出動をしよう。金のない人に金を渡し、古びた道路や鉄橋、公共施設を建て替え、インフラを21世紀後半にも耐えうるものに造り替えよう。今までのような財政規律に縛られる必要がないのであれば、辺野古にいくら金を使っても、使わない公共ホール、ほとんど使われないスポーツ施設にも金を出しても大した問題ではないのかもしれない。どんどん国債を発行し、現金を刷って使えばいい。何しろ、元本も利息も日本円で返せばいいからだ。コロナで困ってる今ならば、特別定額給付金も1人10万円なんてみみっちいことを言ってないで、1人100万円、いや500万円渡したらいい。何しろ国債を発行して金を刷って渡すだけなのだ。いや、今や金を刷る必要もない。銀行口座に振り込むだけなら、データの入力だけで済む。エンターキーをストロークしてやればいいだけのことだ。とことん大盤振る舞いをすればいい。
この文章をここまで読んでくださってる読者で、経済のことにあまり関心がない人でも、そんなことはきっとおかしい。それは、何が何でもちょっと滅茶苦茶だと感じるだろう。直感でダメだと思うのだ。私は、その感覚こそ正しいと考える。
実はMMTについて記された著作にも、上記の様な原則があるにしても、それは政府は無制限に支出すべき、という意味ではないと書かれているし、同時に政府は自国通貨で売られているものなら、何でも購入すべき、という意味ではないとしている。しかし、その線引きは曖昧だ。だから、私は容易に想像できる。MMTを民主主義国家で本格的に採用するとなったら、選挙を前に政治家たちは大盤振る舞いの競争をするだろう。あなたにも、あそこも、もっと金を出す必要があると始まるはずである。なぜ、そんな戒めをMMT論でも記されるのだろうか。それは、インフレを引き起こす可能性があるからだ。 前回までに記したようにMMT理論でも、財政支出に関して、こんな注意書きはつく。政府による過大な支出はインフレを誘発する可能性がある。そう記している。しかし、インフレといってもいろいろだ。それは黒田日銀総裁がかつて目標として掲げた年2%程度の緩やかな物価上昇などと言う許容範囲内のインフレだけではない。そうした低い上昇率で留まる保証はどこにも無い。私は1970年代の原油価格高騰によって引き起こされた狂乱物価を経験している。バブル経済の狂気も渦中にいた。インフレ率が高くなってきたので、積極財政をやめ増税し金融をひき締めて落ち着かせよう。実際の経済は、そんなにうまく手綱をさばけるものではない。むしろ、物価高に一度火がついてしまえば、実質15%や20%のインフレになるかもしれない。私はそう危惧する。
もっともMMT理論によれば、生活者にとって壊滅的なハイパーインフレ(超インフレ、年率200%といったもの)は、今や起きないとしている。その理由に1970年代以降に世界の主要国が変動為替相場制に以降した後にハイパーインフレに陥ったことはないし、過去の事例、例えば教科書などによく画像が載っている第一次大戦後のドイツ、南北戦争時のアメリカ、そして、近年のジンバブエなどのハイパーインフレの例を調べると、それは通貨供給が理由ではなく、需要に対して供給が少ない、つまり商品が少なすぎたり、政治的混乱などで税の徴収が適切に行えなかったからだとしている。しかし、世界のどこの国でも、未だMMTを採用して本格的な経済運営をした政府はない。だから、上記の検証だけで、MMTな世界でもハイパーインフレが起こらないと結論するのは早急ではないかと思う。
そして、ハイパーインフレではないとしても、戦後の日本が経験したインフレの時代。そこそこの高率で上がる物価高という環境を、すでに日本は30年以上経験していないのだから、インフレとなれば、それが市民生活、企業経営に与える影響は少なくないはずだ。そして、もう一度言うが、物価、インフレのコントロールは難しいのである。日本が今から30年と少し前に経験したバブルの時代の狂乱を振り返ってみよう。
1989年は7日間だけだが昭和の最後の年であり、平成元年でもある。当時はバブル経済真っ盛りだった。日常で使う食料品などの価格は比較的落ち着いていたが、家賃、土地や株価、絵画や贅沢品の価格はとにかく上がっていった。この年の4月1日には初めて消費税が導入された。税率は3%だった。また、行きすぎたバブル経済を抑えるために日銀は1989年5月に政策金利を引き上げた。金利を上げる=金融引き締めに転じたのだ。
しかし、増税し、金利を上げ金融政策を180度転換しても、土地価格も株価もその後も上がり続けた。日経平均が最高値の3万8900円をつけたのは1989年12月29日なのである。もちろん何回もの金融引き締めで効果はやっと出た。1990年以降、株価も土地価格の高騰も減速する。しかし、減速では済まなかった。今度は大幅に下落し始めて止まらなくなったのだ。
日経平均の下落が落ち着きを取り戻したのは1992年に入ってからで、最高値の3分の1に迫る15000円前後まで落ちてしまった。土地価格も50%以上も急落したところは珍しくない。この下落によって日本の金融機関は多額の不良債権を抱えることになってしまい、平成の前半はこの後処理問題に追われることになる。さらに追い討ちをかけたのが、BIS(国際決済銀行)によって導入された会計上の国際ルール、自己資本比率の厳格化だった。日本の金融機関はダブルパンチを受けてしまう。こうして失われた20年(実際はもっと長い)と言われる平成不況に陥ってしまうのだ。
このように、一度火がついてしまうと好景気も、凍り付いてしまった不景気に対しても、金融政策も財政出動でも、ちょうどいい案配のところに着地させる処方箋はないものである。インフレをMMTの言う様に増税や財政の絞り込みで影響を与えることはできるだろうが確実ではないのだ。MMT理論にある、インフレに困ったら増税すればいい、財政規模を減らせばいいと言う断り書きだけで納得できる筋合いのものでは決してない。これでは、まるで薬瓶の裏書きにある、飲んでみて体調に異変を感じたら投薬をやめてくださいと言うのと同じだ。頭痛薬や風邪薬ならやめればいいのだろうが、毒薬を飲んでしまったら、飲むのを辞めても健康被害は甚大なのだ。
MMT理論にはこう記してある。政府の過大な支出はインフレを誘発する可能性だけでなく、為替レートに影響を与える可能性もあると書かれている。日本国債の所有者はかつてと異なり、今や1割強が外国人投資家である。日本の大手会社の株式もシビアな運用実績を求める欧米の年金資金などのプロのファンドが多くを占めるようになった。株式の3分の1、2分の1を海外資本が所有する企業も少なくない。彼らにとって為替レートは、自らの資産評価にとって大変重要な一丁目一番地である。
もしも、日本円が過去30年間のような安定感を失ってしまったら、日本からの資本逃避=キャピタルフライトが起こる可能性は否定できない。それは、海外勢だけでなく、日本の資本、富裕層も巻き込むことになるだろう。さらに、日本の財政や金融政策、日本円の信頼性に根本的な傷がつくと1990年代の終わりにアジアの通貨やイギリスポンドが味わった市場の洗礼を受けるかもしれない。世界的に金余りの市場参加者は日本の弱みをひとつひとつ取り上げて、円と円資産を売り浴びせる口実を探し始めるだろう。
日本の中央銀行のバランスシートはめちゃくちゃだ。債務残高が先進国で飛び抜けて大き過ぎる。生産性が低い。成長率が過去30年間、ほとんど1%程度だ。資本効率が良くない。災害大国である。国際金融市場はこうした日本の売り要因を見つけてとことん貶める。日本円の資産を持つ人や会社が逃げていくだけではなく、先物市場で空売りが始まり、デリバティブ市場から、どでかくレバレッジを効かせて売りに来る連中も出てくる。そうした混乱の中で一番被害を被るのは、過去の経済危機、金融危機が如実に物語っている。経済的弱者や庶民と中小零細企業がその被害を一番被るのだ。それは、今でも世界第3位のGDPを誇る経済大国日本の終焉の日でもある。 そして、金利は高めで、通貨安で物価高になり不況にもおちいった、そんなスタグフレーションの状態になってしまった時には、MMTはどう対処せよと言うのだろうか?インフレと不況が共存したら、MMTの注意書きにある一定のインフレ率の時にはMMT流の積極的な経済運営は控えろという文言は棚上げし、インフレ率には目をつぶって財政出動し続けろと言うのだろうか?それとも基本理念の通り、インフレなのだから不景気でも増税や歳出削減をせよとなるのだろうか。まさにお手上げとなってしまうのだ。そして世界が日本円の価値の不安定さに気づいてしまった後は、日本円はかつてのアジアや南米などでみられた様に、日本国内でもその地位を大きく下げてしまうだろう。商店で買い物をしようと思っても、不安定な円でなくドルやユーロの支払いを求められる。これからは中国人民元もそこに加わるかもしれない。自国内での買い物に自国通貨が歓迎されない。そんな国はいくらでもある。これは事実だ。日本はそんな国に仲間入りしてはならない。
私の言いたいことをまとめよう。政府が好き勝手にどんどん貨幣を発行できる。そんな通貨を誰が信用するだろうかということだ。そんな当てにならない金を何十年後の老後のために大切に積み立てていくだろうか?MMTは単にインフレを引き起こすだけではない、国の経済の基本であり、血液である、お金、通貨に対する信頼感を貶めてしまうのだ。
インフレが起きれば金利は上がっているだろう。そして、その時に日本は1000兆円の政府債務が重いのにも気がつくはずだ。1%金利が上がれば、借り換えたあとは毎年10兆円多く利息を払うことになる。2%なら20兆円多くなる。日本円の信頼を失った、その時になってMMT論者は、金利の支払いは円なのだから安心だとは言えなくなる。なぜなら、そんな日本国債は誰も買わない債券となってしまい、いよいよ政府でさえ外貨建ての債券の発行に追い込まれるかもしれないからだ。
経済理論は工業化と近代資本主義の発展とともに、アダムスミスやマルクスだけでなく数多くの学者と理論を生んできた。その中で通貨は、1970年代にドルが金との兌換を停止して以来、その後ろ盾は各国政府の秩序ある経済・金融政策を行うことによって維持される信用でしかない。だから、紙切れなのに信用される。皆が欲しがるのだ。市場から信用された通貨の貨幣は価値の保存がきくし、安定性があり、欲しいものとの交換ができるのだ。そういう金をもらうためにみんな汗水流して働くのだ。いつ潰れるかわからない会社から、とりあえず働いてくれと言われ、給与を現金でなく、代わりに2年後の約束手形を振り出されても、多くの人は、すぐに銀行に駆け込み換金するか、換金できないと踏んだら、2年後の8掛けでいいから、今すぐ現金で払ってくださいと頼むはずだ。それは、その会社の手形に信用がないからだ。
MMT理論の説明は明解な会計学の手法を使って行われる。もちろん理論上の破綻はない。しかし、今までの世界が、その通貨を兌換紙幣の時代に培われた貨幣への信頼を失わないように尊重しできるだけ丁寧に扱ってきた。今や1000兆円を超える日本の債務残高も大きな経済危機を除けば大概は慎重で抑制的に増やしていったのだ。それによって、本来はただの紙切れでしかない、いや今や通帳に記帳される電気的な数字の裏付けしかない通貨を多くの人が信用し続けてきたのだ。なぜなら、通貨がなければ生活は不便だし、自国の通貨がやはり一番信頼性が高いと思うからだ。MMTの理論の根底には、どんな権力でさえ丁寧に培ってきた貨幣への尊重や丁寧な扱いに欠ける。多くの人が受け入れてきた不兌換紙幣(=紙切れでしかないお金)への背景に思いが巡ってないように思える。私はそんなMMTを過半数を超える多くの人が近い将来に受け入れるとは到底思えない。無尽蔵に刷られ続ける紙幣ならば、その貨幣に対する信頼は自国民でさえ、失くしていくと思うからだ。そして、日本がこれからも世界と経済的につながって存立していく国でありたいならば、世界で信用されてる日本円という通貨を貶めてはならない。信用されない日本円では海外勢は誰も受け取らないだろう。モノが欲しいのなら、円でなくドルやユーロで払ってくれとなるだろう。だから、日本はこれからも世界のメインストリームの経済と金融のルールに留まることが必要なのだ。
最後に付け加えるが、私は黒田東彦日銀総裁が進めてきた異次元の金融緩和政策も日本円の信頼を傷つける行為だと思っている。しかし、それはゆっくり少しづつ腐食させ傷つけていくものだった。言ってみれば、温暖化による気候変動が問題視されるいまの世界であえて石炭火力発電を続けるようなものだ。それに対して、現代貨幣理論・MMTによる経済政策は原子力発電のようなものだと思う。理論上は破綻がなく、いざという時の注意書きもある。それは、今の日本の閉塞感を打破する夢の様な考えかたかもしれない。しかし、MMTで経済政策を行って問題が起きた時は制御すればいいと言われても、それは机上のものだけである。 新薬はマウスなどの実験の後、慎重に限定された人への投薬も行われ、問題点、副作用をきちんと把握した上で、承認される。しかし、MMTはリアルな社会での検証は何一つされていない。そんなものをリアルな現実社会に導入し一度暴走し始めたら、理論通りにコントロールできると誰が保証できるのだろうか。そこを危惧するのだ。
多くの人が格差拡大の中で苦しんでいる。厳しい財政事情の中でできることも限られている。だから、魔法のような経済理論に飛びつきたくなるのもよくわかる。原子力発電のことを、かつて日本の多くの人たちは、エネルギー不足に困る日本にとって夢のエネルギーと思い、これこそ解決手段だと飛びついてしまった。世界でも有数の地震多発地域であり、火山列島でもある日本なのに、我々は飛びついてしまったのだ。その結果はご存知の通り。私たちはチェルノブイリや福島の原子力発電所でその悲劇を味わった。原発も理論上は制御できるはずだった。問題が起きても抑え込めるはずだった。しかし、できなかった。
私は経済でも同じようなことを経験するわけにはいかないと思う。MMTは困ってる人ほど魅了する。しかし、こんな甘いことが成立するだろうか? MMTは経済学の「科学革命」というより、原子力発電のようなものだ。私はそんな経済理論を日本は多くの人の生活、人生をかけて採用してみるべきだとはとても思えない。日本をMMTの実験場にするべきではないと思うのだ。 <文/佐藤治彦> 【佐藤治彦】 さとうはるひこ●経済評論家、ジャーナリスト。1961年、東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。JPモルガン、チェースマンハッタン銀行ではデリバティブを担当。その後、企業コンサルタント、放送作家などを経て現職。著書に『年収300万~700万円 普通の人がケチらず貯まるお金の話』(扶桑社新書)、『年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話』 (扶桑社文庫・扶桑社新書)、『しあわせとお金の距離について』(晶文社)、『お金が増える不思議なお金の話ーケチらないで暮らすと、なぜか豊かになる20のこと』(方丈社)、『日経新聞を「早読み」する技術』 (PHPビジネス新書)、『使い捨て店長』(洋泉社新書)
ハーバー・ビジネス・オンライン