国富論(アダムスムス)と資本論(マルクス)の類似

 

「神の見えざる手」アダムスミス

(富士書房発行、世界十五大経済学マルクスとケインズ23P

 

スミスはこの世の背後に創造者としての神を創造していた。神はこの社会をつくったときに、人間の魂のなかに、歯車やゼンマイにあたるものをのこしておいた。それは利己心であり、そしてちょっぴりとした利他心である。人はこのちょっぴりとした利他心によって、その利益を追求してゆくならば、社会全体が調和ある発展をとげるようなしくみに出来上がっている。個人の利益は、神のみえざる手にみちびかれて全体の福祉に貢献する。従って我々のなすべきことは、この社会法則を自由に貫徹せしめることであって、これを阻害することであってはならない。自由な経済活動、これこそ経済政策の最良のものである。

 

「神の摂理」マルクス

(岩波文庫発行、資本論(一)エンゲルス編、向坂逸郎訳306P

 

 労働力の買いと売りとが、その棚の内で行われている流通または商品交換の部面は、実際において天賦人権のエデン(花園)で有った。ここにもっぱら行われることは、自由、平等、財産およびベンサム(最大多数の最大幸福)である。・・中略(自由、平等、財産、ベンサムの解説)・・彼らを一緒にし、一つの関係に結び付ける唯一の力は、彼らの利己、彼らの私的利益の力である。そしてまさにこのように各人が自分のことだけにかかわって、何人も他人のことにかかわらないということであるから、すべて人々は、事物予定調和の力で、あるいは万事を心得た神の摂理のおかげで、はじめて彼らのお互いの利益、共通利益、総利益のために働くことになるのである。
 

以上の事から自分の利益だけを考え、他人との競争では無いという事、つまり自由競争という事では無いのです。自由競争(価格競争)及び自由貿易(TPP)とは経済を衰退させる事です。

 そもそも、アダムスミスは自由放任の経済を説いたのでは無く、マルクスは19世紀の自由放任の虚無主義のなかで資本論を説いたのです。そして、マルクスは共産主義と誤解しているのです。すなわち、競争による利益率の低減で資本主義は崩壊すると、共産党宣言をした事でマルクス=共産主義=唯物論者と誤解されているようです。このように、自由主義と共産主義は経済(聖書)から生まれたもので、哲学や思想から生まれたものではないのです。そして多くの日本人は無神論者により、進歩、革新、改革、競争という事を大切にする風潮があります。これこそ人間の性格、才能、能力の違いを無視した人の自由人権を妨げることだと考えられるのです。すなわち技術の進歩と競争だけが経済を豊かにするという風潮が見られます。

 松下幸之助氏は実業家との最初の挨拶が、「儲かってまっか」だったそうです。利益が如何に大切かということが解る言葉で、それこそ松下幸之助氏の提言(PHP)繁栄による平和と幸福と言うことの現れでしょう。そして氏が松下政経塾に与えた命題「人間とは何か」は、人間が持っている才能能力を引き出すには人間を良く知る事、経済の根本は神の下の自由で成り立っている事、それらを示唆していると考えられるのです。

 産業利益(リストラによる利益でなく)追求による雇用、消費に繋がり財政が健全化されると謂う、また、福沢諭吉先生の国を治め国民を救うということが経済の根本なのです。決して景気の気や技術革新だけでは経済の再生は出来ません。

 次に、資本論1の50〜51ページに、マルクスの遺稿を継いだエンゲルスの著述がありますのでご紹介致します。

イギリスの産業体制の活動は、生産の、したがって市場の不断の急速な拡大なくしては不可能であるが、いま休止にはいろうとしている。自由貿易はその源を枯渇せしめてしまった。マンチェスターすら、自分のかってのこの経済的福音に懐疑的になっている。急速に発展する外国の産業は、いたるところで、イギリスの生産に対してそびえ立っている。ただに関税で衛られた市場においてだけでなく、中立の市場でも、さらに英仏海峡のこちら側においてさえも、生産力は幾何級数的に増大するのに反して、市場の拡張は算術級数で進んでいる。1825年から1867年にいたる間つねに繰り返された停滞、繁栄、過剰生産および恐慌という10年の循環は、たしかにそのコースを走り終えたように思われる。その結果は、ついにわれわれを、継続的で慢性的な不況という絶望の泥沼にもっていってしまったのだ。好景気という待ちこがれた時期はこないだろう。われわれはあんなにもしばしば好景気を予告する徴候を見たと信じた。しかし、あのようにしばしばそれは空しく消え去った。その間、くる冬もくる冬も新たに問題が繰り返された。「失業者はどうする?」と。しかし、一方失業者の数が年々増大しているのに、この問題に答える人は一人もいない。そしてわれわれは、失業者が我慢しきれなくなり、その運命を自分の手で決定する時点を、算定することができるようだといってもよい。その瞬間においてこそ、確かに一人の声を聞くであろう。その人の全理論は、イギリスの経済史と経済的状態の研究に、全生涯をかけた成果であり、またこの研究は、彼は次の結論に導いていったのである。すなわち、少なくともヨーロッパにおいてはイギリスが全く、平和的な手段をもって、不可避的な社会革命を遂行しうる唯一の国であるということである。もちろん彼は、次のように付け加えるのを決して忘れなかった、自分はイギリスの支配階級が「奴隷制擁護の反逆proslavery rebellion」もしないで、この平和的合法的革命を甘受するであろうとは期待しない、と。

以上原文のまま抜粋しました。
 

 このことは、1873〜96年の大不況の序章のようです。そして世界大恐慌に繋がって行くのです。何か、今の日本と置き換えられることが出来ると思いませんか?
 失業の問題は日本は非雇用制度で守られているようです。また、倒産はリストラや金融で逃れてきたのです。従いまして失業者は潜在しているのです。また、倒産失業による命の喪失を表現しています。それを、マルクスが救う研究をしたのだと結論づけしています。日本が取ってきた政策は最善の方法では無いと考えます。
 続く