20155

                      経済学は聖書
                  自由放任について



経済学者のなかに、アダムスミスの経済学は自由放任の経済学だという人もいるようですが、それは誤解だということを述べたく思います。また、経済学は聖書ということは言えると思うのです。
下記をご覧ください。




上図から、自由だ自由競争だと言って価格競争(コスト削減競争)で利潤をあげようとすれば、原材料、賃金、地代家賃等を削減することになり、それは当然、所得が減り消費が低下するということになるでしょう。そうすれば、当然売れ行きが悪くなって利潤も減ることになるのです。そして挙句の果て薄利多売となり物余りになるのです。(世界恐慌)

 要するに自分の利益だけの為ではなく、価格競争でもなく、利他心が自分を豊かにするということになるのでしょう。そこにイエスキリストの教え「あなたがたは敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやりなさい、そうすれば受ける報いは大きい」(ルカ6章35節)があるのです。価格競争(コスト削減競争)は世界市況の負の働きしかないことを悟るべきでしょう。
産業革命による機械化で、資本家経営者などが上図からわかるように、自由を謳歌してきた自由経済は経済社会を疲弊することになり、その自由放任経済が世界恐慌を世界対戦を引き起こしたことを歴史の上で証明されていることを反省しないと、歴史は繰り返すではないけど大変なことになるでしょう。
そこにケインズ派が言う何かの調整や働きかけ規制が必要になるのです。それが政治の責任なのです。また歴史上の世界恐慌を考えると、本当にアダムスミスが自由放任の経済学を説いたのかです、それもケインズまでの150年も続いたのかです。世界恐慌はアダムスミスの責任かです。
経済は人間が生活を営む衣食住のなかで、物、人、金が適正かつ円滑にお互いに働きあってこそ成り立つもので、労働者だけのものでも、また資本家や経営者や金融関係だけのものでもないのです。そして、それにはお互いに協力し思いあう精神が必要不可欠な問題でしょう。
そのことが聖書の中にあるのです。故に経済学は聖書といえるでしょう。そして、それはアダムスミスの概念でもでもあり、カールマルクスの思想でもあり、決してスミスもマルクスも自由放任や無神論を説いたのではないのです。自由放任の経済をしてきたのは資本家経営者だと上図から考えられることと、近代経済学研究会編、世界十五大経済学、マルクスとケインズ、富士書店発行でも述べられています。
 また『世界大恐慌のまえアメリカやイギリスの資本主義には恐慌とか不況というものは経済活動の単なる一時的な摩擦による混乱にすぎない、自由に放置しておけば必ず回復するという考え方であった。とくにアメリカの大統領クーリッジは、何もしない政府こそ最良の政府といっていた』【世界十五大経済学マルクスとケインズ(近代経済学研究会編、富士書店発行)21ページより】そして世界恐慌は起こったのです。正に政治の責任だったのです。
以上のことを認識しないと財政再建は難しいでしょう。そして、国の負債は増え続けるでしょう。低所得者の底上げしないかぎり消費は増えなく、デフレは解消できないでしょう。ようするに雇用創出が重要で非正規社員制度があるかぎり経済再生はたいへんでしょう。 終わります。

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