20163

                経済学は聖書


平和より

現在、「人命尊重や人を殺してはならない」ということが解りきったように言われています。これこそ聖書のなかの神の教え「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)からきているのです。平和について現在は疎かに考えている傾向にあります(平和についての概念もただ戦争が無いのが平和だけでなく)、それは正義を振りかざす傾向からきているのでしょう、「義人(正しい人)はいない、一人もいない」(ローマ人への手紙3章10節)というように、正義についての誤解や勘違いにあるようです。そして人間は悪を憎む性質を持っているようですが、そのことを聖書では、「神は自分にかたどって人を創造された」(創世記1章27節)というように、神に形造られたアダムとイブが神の言葉に逆らって侵した罪である、悪の木の実をサタンの誘惑で誤って取って食べたことで、人間は善悪を知ることになったようで「みよ、人は善悪を知るものとなった」(創世記3章22節)、しかしその善と悪の木を造ったのは神で「園の中央に命の木と善悪を知る木とをはえさせられた」(創世記2章9節)、と言うように、本当の善、義は神のみ知ることに他ならないことのようで、その律法が聖書に述べられているのです。

また「汝の敵を愛せ」は何の罪もないイエスが、十字架につけられた時にも、「父よ、彼らをおゆるしください、彼らは何をしているのかわからずにいるのです」(ルカ23章34節)とあるように、最後まで敵をゆるしているように、我々人間の罪を背負って十字架につけられたのです。

罪である「殺してはならない」というように、戦争とは殺し合いにほかならないし、正義と言ってもその意味が違っているので(勘違いや誤解)、戦争とは指導者や指導者達の意思次第になっているのが実情でしょう、そして、それは経済情況(貧困、暴動クデター、テロ、戦争)から行動を起こすことは歴史上から伺うことができます。(世界恐慌、第二次世界戦争)それは、アダムとイブのように人間は間違いを起こすものだからです。

前の節で、マネタリズムとは一線を引くべきだということを述べましたが、日銀がマイナス金利に踏み切ったことは、円安誘導を見込んだ政策だったことで(新聞報道)、まだ経済がわかっていないのではと思われます。それは外国で、投機で儲ける為に安い金利の円を借りてもらい、円を売って投資することで円安誘導を目論んだのでしょう、しかし、その投資は必ず売ることで、借りていた円を返すのに、円を買って返済するので円高になるのです。その時に先に円高で円を売って円安で円を買うので利益になるので、円は乱高下して物価に影響して経済に影響することになるのです。そのように円安誘導は得策ではないのです。

その上為替の問題はゼロサムという関係で、日本が得すれば外国は損をすることで、国際的には何のメリットがないということなのですが、しかし日本は価格競争による海外生産基地政策で、円安でも輸入物価の上昇で国内需要に影響を与えてきた結果、未だにデフレ脱却に苦しんでいるのです。決して円安が経済を成長させる要素ではないのです。そして経済成長もかんばしくなくなっているのです。(10〜12月はマイナス成長)

これは、物・人・金のその内の「人」の労働者を疎かにした(リストラ等)経済界、政治家、金融家(特に貿易を扱う金融業)の横暴が今の日本を崩壊の中に置いているのです。現在は、デモクラシー(人民の人民による人民の為の政治)や経済は国を治め国民を救うという制度の中にいるのです。その人(労働者)を経済学を意識に置かずに海外進出や価格競争をしてきた結果、現在が有ることを認識すべきなのです。また「これ以上大事ないましめはない」と言われたイエスの第二のいましめは「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マルコ12章31節)です。このことはルカ10章30〜37節に隣り人とは誰かが記されています。このように人(労働者)を大事にすることで、経済は成り立って行くのです。マルクスの労働価値論も同じことが言えるのではと思います。

財政再建とは経済活動(海外生産規制で国内生産化)を盛んにし企業が利潤を上げ、国民の所得を上げて税収が上がることで成し遂げられることなのです。それを手助けするのが政治の役目で経済政策(財政出動や金融政策)なのです。しかしこの財政出動や金融政策は決して恒常的な財政出動や円安誘導では無いのです。そして軍需産業は経済活動ではなく経済政策の一部で、決して長期的に経済を支えるものではないはずです、そして戦争しなければ再生産に繋がらなく、どうしても戦争になりやすいことで、イエスが人間の罪を背負い十字架にけられた事を犠牲にすることになるでしょう。

「敵を愛せよ」というように、決して争うのではなく、固定観念を持つのではなく、話し合いを持つことの認識と勇気を持つことだと思うのです。


つづく