高齢者の社会生活と会計そして経済

 高齢者は金持ちだ、それなのに貯めこんでいて消費しなく経済成長を妨げているという人がいるのは事実です。金持ちで裕福な人がいるのは事実でしょう。しかし、現実は大多数の高齢者の生活は年金暮らしで、それも国民年金は僅かで厚生年金での年金暮らしも、業種によっては厚生年金基金の廃止、保険料の値上げなど減収で、そう楽な生活はしていないのです。その中で、老人福祉法という国の補助金の基に、明るく楽しく元気に健康維持促進という意義の下に、老人会の諸活動やグランドゴルフ協会、ペタンク協会、ゲートボール会等と旅行や娯楽で、経済活性化の為に、僅かな補助金だけでなく身銭をきって経済活性化を図っていることを知らない人が多くいるようです。貧乏しても心の貧乏をするなという言葉があるように活動しているのです。(聖書の中で隣人を愛せ等で表現されています)

最近、各地区や老人会の会計が高老齢化で引き受ける人がいなくなっているのは現実の問題です。それほど会計とは大変な仕事であることを認識できる人がいなくなっているのは、経済学も大変な学問である事を認識していない事と一緒だと考えられるのです。

福沢諭吉先生が経世済民という事から経済としましたが、意味は「国を治め国民を救う」という事なのです。そして西洋式簿記の教科書「帳合之法」を著したのも福沢諭吉先生です。戦前、朝鮮半島は日清戦争で日本領土となり植民地だった事もあり、福沢諭吉先生は朝鮮問題を取り上げ、朝鮮とは協力して行かなければならないという事を述べていたようです。これはイエスキリストの「隣人を愛せ」という言葉から来ていると考えられるのです。聖書の中でその隣人の事をのべています。そして「汝の敵を愛せ」もイエスキリストの言葉で、これこそ世界平和の基で、経済がまた人間の心が豊かでなければならない事でしょう。

 経営の神様と言われPHP(繁栄による平和と幸福)等で多くの名言を残した松下幸之助氏が、松下政経塾に与えた命題「人間とは何か」は現在の政治や経済政策から考え未だに解っていないようです。人間や生命誕生が解明されても、人間の思い、考え、悩み、争い、殺し、盗み、喜怒哀楽という性格はどう解釈されるのか、それこそ人間とは何かの問題です、それは聖書でしか解き明かされないのです。進化論や科学者で哲学者のデカルト(行きついた先は我思う故に我ありだったのです)でさえ解き明かせなかった事を松下幸之助氏は松下政経塾に命題として与えたのです。

自由だ、競争だ、では経済はなりたたない筈で(マルクスの資本主義崩壊論やケインズの長期停滞論)、価格競争・底辺への競争の結果、経済が衰退しているのは、経済学の根本を忘れている事にほかならないのです。(日本は2018年度(最新)経済成長率世界166位で今や後進国の仲間入りです。ちなみに2016年度は154位)。聖書の中でイエスキリストは、自由とは「私に止まるならば、貴方たちは真理を知り、真理が貴方たちを自由にする」と説いています。(その事は国会図書館に掲げられています)そのように人間の真理を聖書では様々なことから述べられているのです。

 宗教を語っているのではありません「人間とは何か」と、経済学の根本である聖書の中の神(国富論と資本論の類似をご覧ください)、それに国を治め国民を救うという事、また、経済は全ての人が絡み合ってこそ成り立つ筈で、金融利益だけ追及するのではなく、松下幸之助氏の言うように商品売買利益(産業利益)による繁栄と平和を考えないとならない時だと考えます。