2015年8月
金融政策から考える
市場原理主義、新自由主義、グローバル経済が世界経済を狂わせてきた原因は、経済学者ミルトン・フリードマン氏の「経営者の唯一の社会的責任は株主の為に多額の金を儲ける事、これが道徳的な義務だ、社会や環境上の目標を利益に優先する(道徳的振る舞おうとする)経営者は非道徳的だ、企業の社会的な責任が容認されるのは、それが利益追求の方便であるときのみで、偽善が収益に寄与すればよく、道徳的善意も収益に繋がらなければ非道徳だ」(安部芳裕著日本人の知らない恐るべき真実より参照)
それは、マネタリズムの政策とは規制や財政出動・金融政策をせずに貨幣供給量の調整だけで、国家経済を安定的に運営して完全雇用に近づけることができる
一方、ユダヤ人である世界の金融財閥王ロスチャイルドの影響を受けたであろう、同じユダヤ系経済学者フリードマンらシカゴ学派が推し進めた新自由主義は別名「リッチマン革命」とも呼ばれています。金持ちは金儲けが得意なのだから、優遇してどんどんお金を稼いでもらおう、その稼いだお金を使ってもらえば、貧しい人たちも潤はずだ。これをトリクルダウン(したたり落ちる))理論と言いますが、実際に起きたのは豊かな人はより豊に、貧しい人はより貧しくなるトリクルアップだったのです(安部芳裕著日本人の知らない恐るべき真実より参照)
稼ぎである利潤の問題はマルクスやケインズも重要視したことは同じですが、金融でとらえたのがフリードマンの主張でしょう。しかし、これが投機筋の無謀な投機に繋がってリーマンショックで世界経済が混乱したことは否定できないでしょう。
古くはオランダのチュウリップ投機バブルから始まり、日本のバブルなど投機によるバブル崩壊は人間の欲望の規制を無くした結果で、聖書の中にもそのことが記述されています。それは「主人は言った『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる』」(ルカの福音書19章26節)ということがあることでわかるように、現在も人間というものをわかっていないことから来ているのであって、イエスキリストはそれを戒め「隣人を愛せ」という第一第二の教えを導きだしているのです。
世界経済が未だに考えている市場原理主義、新自由主義やグローバル経済が、本当の自由主義なのかです、日本での経済とは経世済民という漢文からきているようで、福沢諭吉が経済と言い換えたと言われ、「世を治め人民の苦しみを救う」という事から来ているのに、ただ自由だといって市場原理からの競争で貧富の格差をもたらし、社会を混沌とさせていることは事実でしょう。
それは先進国が後進国へ価格の抑制を求めてきた結果、貧困から紛争、ゲリラや戦争が絶えないことなのです。(安部芳裕著日本人の知らない恐るべき真実より参照)自分もそう思います。
貨幣の供給量だけで経済を調整できるものでも無いはずです、金融では付加価値は生まれません、実体経済をどうするかでしょう、実体経済で稼がないから貧富の差がでているのです。また国や地方自治体が直接貨幣を発行すればという説もありますが、有る程度納得できますが、しかし、長く続けていると、それが海外に流出したら同じことで、またハイパーインフレになる可能性があるのではと懸念がされるのでは?そして現在と同じで為替の変動が激しく動き、物価に影響して経済が混沌とするでしょう。あくまでも経済は物(物価)、人(賃金)、金(金融)が絡み合って発展するもので、現在も価格競争(これが稼げない一因)による企業の雇用情勢である、リストラや非正規社員制度の導入と成って、経済が混沌とし、経済の円滑さを欠いていることが間違いだということを悟るべきなのだと考えられるでしょう。