2015年10月

      ノーベル平和賞から考える

憲法9条がノーベル平和賞にノミネートされたと報道されていました。これはイエスキリストの教えであることだとも考えられます。それは、「あなたがたも聞いている通り、昔の人は『隣人を愛し敵を憎め』と命じられている。しかし私は言っておく、敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章43〜44節)と新約聖書にあります。

これこそ争いを避けよということで、憲法9条の戦争の放棄と同じことになるでしょう。要するに憲法9条はキリストの教えなのです。そのように聖書は正に平和を求め、人間の弱さ愚かさ罪深さを、イエスキリストが人々の罪を背負い十字架に掛かり、悔い改めを求めているのです。

近代、哲学が発達しましたが、哲学、科学者のデカルト、進化論のダーウインでさえ、人間の心の深層である悩み、悲しみ、苦しみ、自我から怒り、争い、殺し合い、また苦しみから自殺するという、心の深層を解明できていません。現在でもしかりです。しかし、これら人間の心の深層を探り、教え戒めているのが聖書なのです。そして、西暦という年号、紀元前、紀元後というイエスキリストの生誕を基準にしていることは現実です。
 新約聖書にこうあります、「自分の親族、特に家族の世話をしないものは、信仰を捨てたことになり、信者でないものより劣っている」(テモテ5章8節)と、イエスに取りすがりついて行こうとする者達に、イエスは言われた「家に帰りなさい、そして身内の人に主がしたことを知らせなさい」(マルコの福音書5章19)この二つの教えから考えられることは、神は第一ですが、第二は家庭で三番目に教会イエスキリストということがいえるようです。このことは家庭生活がうまくいくことが重要なことなのです。それこそ衣食住を営む経済が重要で、現代でいう経済学が必要になってくるのです。しかし、その経済学を現在見失っている感が否めないのです。そして社会が混乱しているようです。そういう意味でも経済学は聖書なのです。

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