経済再生について
中国のキリスト教から考える
中国は共産党一党体制ですが、これをイデオロギーで見ることを避けるべきです。そもそも共産主義とは、マルクスの資本主義崩壊論から説かれたもので、それをレーニン、スターリンが形を変えたものです。毛沢東はソ連共産党からのマルクスを学び、周恩来はヨーロッパでマルクスを学んだことで、同じマルクスでも色合いが違っているのです。マルクスは資本論の中で無神論は軽い罪だといっているように、中国が信仰の自由を認めているのは周恩来の影響だと言っても良いのではないでしょうか、そして、現在7,000万人の信者がいることは驚くべき事で、また闇のキリスト教会を取り締まっていることは、中国歴史の上で太平天国というキリスト教団が政治を支配しようとしたことが有ったことから、宗教というものを警戒している現れで、マルクスも宗教はアヘンと言っていたことでもわかります。
勿論マルクスの言っていることはキリスト教を批判したのでは無く、宗教に“はまる”余り人間らしさが失われ活力に乏しさが失われるということからでしょう、その証拠に資本論では無神論は罪であると述べています。中国側は宗教が太平天国のように政治批判をして行動する恐れを懸念しているからでしょう。ローマ法王が中国に聖職者の派遣を要請したようですが、中国側はその要請を躊躇しているのでは?と思われます。
よって中国を共産主義と言って民主化しろと批判することは内政干渉になるのではと考えられるのでは?と思うのです。そして今の弱肉強食の競争原理(市場原理主義)という経済体制をとっていて、それを民主主義と言えるのでしょうか?と考えられるからです。民主主義とはただ選挙での多数決で決められるのかです。
そのように、ただイデオロギーで中国を考えるのでは無く、マルクスと聖書(キリスト教)をもっと研究することが必要でしょう。それに岩波書店発行、近代経済学研究会編、世界15大経済学マルクスとケインズを再研究すべきだと考えますが。
聖書に「あなた達が私に止まるならば、あなた達は真理を知り、真理があなた達を自由にする」というイエスの教えがあります。自由とはキリスト教からきているのです。また「私が道であり、真理であり、命である、私を通らなければ父に会えない」とあります。その父とは天地の造り主である神であり、それは人間とは何かを哲学、科学を超えた真理を説き、イエスキリストが隣人を愛せよという第一第二の教えを説いているのです。またローマ法王がアメリカで「弱者を救済すべきだ」というメッセイジを述べたのは正にそのことでしょう。それはとりもなおさず弱者の暴動やテロと戦争を危惧し、そして弱者救済は弱肉強食や価格競争でなく賃金増加で需要(消費)促進の経済再生に通じるのです。決して金融経済でのトリクルダウンや市場原理主義や新自由主義でも無いのです。グローバル経済でも無いはずです。そしてTPPでの関税撤廃の自由貿易でないのではと考えますが?勿論世界強調は必要でしょう、それは負債増加が続いて資本主義崩壊の世界恐慌を避けるべきだからなのだと考えられるからです。もちろん大戦争も。
追記
人権について簡単に辞書から述べてみます。
人権とは、人間が人間として生まれながらに持っている権利。実定法上の権利のように自由を剥奪または制限されない。基本的人権。
その実定法とは、定立された法というのが本来の意味で、定立という作為によらない自然法に対立する概念、広義では神が定立した法(神法)も含むが、狭義では人間が定立した法(人定法)すなわち制定法・慣習法・判例法などを指す。実証法。と有ります。以上終わります
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