2017年8月
                
最終2 

日本経済がバブル以前から、また崩壊後も間違いであったことは、いろいろな原因が考えられますが、社会が疲弊していることは間違いないのです。特に親が子を殺し子が親を殺すという社会、また自分を殺す(自殺者)多さ、過去には思いもできなかったことなので疑問がわき、考えていた時にキリスト教ではどう考えられるのかと教会に通い、聖書を学びだしてから経済学は聖書だということがわかりました。経済が社会を良くも悪くすること、そしてその経済学は聖書の中にあったのです。

自分のこの思いは日蓮の立正安国論に似ているようなのが、最近大網白里地域の人たちとの関わりでわかりました。勿論日蓮とはかけ離れた思考の違いがあります。その日蓮は鎌倉時代の世が大地震、大風、飢餓、疫病で混乱していた時に、法華経、護国祈祷の立場で原因は悪僧により世は乱れているとしました。批判の矛先である法然は、すべての大乗経典と仏・菩薩・神々を捨てよ、閉じよ、閣(さ)けよ、抛てよ(なげすてよ)の四字を説いて、多くの人びとの心を迷わせている。(立正安国論)と、天台、真言、禅等を否定し、難行から念業を推進したのです、その法然は後鳥羽上皇により専修念仏の停止事件の責めで四国に流罪しにあったのです。しかし10ケ月で放免となり、その後も続く阿弥陀仏派を批判し、また乱れている仏世を憂い鎮護国家の三部経の一つ仁王教では、多くの悪僧たちがいて、自己の名誉や利益を得ようとして、国王や太子や王子などの権力者に近づいて、正法を破り、国を滅ぼすような自分勝手な間違った教えを説くであろう。その王たちは正邪を見分けることができず、その言葉を信じ、正法を護れという仏の戒めに背いて、勝手な法律や制度を作るであろう。これが仏法を破り、国を滅ぼす原因となるのである。(立正安国論)そうして立正安国論を鎌倉幕府に提出したのです。

日蓮は、『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、鎮護国家の聖典とされた『金光明最勝王経』なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けて滅びると唱え、邪宗を滅ぼし逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と説いた。その中で、謗法の者(浄土宗の信者)を殺すことも辞さないとした内容は、たちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌年には日蓮が伊豆国流罪となった。(ネットより参照)後に日蓮の予言の通りに大陸からの脅威で鎌倉に呼び戻されたが、自身の立正安国を認めない幕府に身延山に籠り弟子に立正安国を教育し、日蓮没後の後醍醐天皇により鎌倉幕府は崩壊し日蓮宗として認められたのです

その日蓮の大網白里地区に対する影響は、1448年に土気城の領主酒井定隆の「七里法華」による日蓮宗改宗で、酒井家の日蓮宗による統治は豊富秀吉の小田原城が落城するまでの100年以上続いたのです。正に日蓮が鎌倉幕府に送った「立正安国論」を酒井定隆が受け入た現れなのです。今の大網白里地区周辺は日蓮宗による影響が大きいと言えるのです。その酒井定隆は検地も行わず、農民有力者の申請を信じ、農民の為の政治を行ったのです。こういうことは、今の政治にも繋がると思うのです。 

現在は宗教で日本を変えることは難しく(宗教とは人間の力や自然の力を超越した存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などを そなえた社会集団のことである)、経済学の誤解が現在の日本を衰退の道をたどり、それは聖書(イエスキリスト)の教えが解っていないことから来ているのです。経済学の始めであるアダムスミスやマルクスでも示されているのです。また社会の混乱は「来世ではなく現世での在り方を問い、"今をイキイキと生きること"が説かれた「法華経」(実大乗)こそ、混迷した世の中を正し、人々を救う」という日蓮の教えをも無視しているようなのです。

人臣を救う事こそ政治の役目であり、それは経済の安定で、それこそ人民救済なのです。そのことは福沢諭吉の「経世済民」でも示され、聖書の中にも多くのヒントがあるのです。終わり