2014年8月

続・日本のエコノミストの勘違い
保護政策について

保護政策とは国益といって自国の損失を保護することでしょう。そして他国の損失と自国の損が一致すれば、それを規制することは保護政策とは言えないのではと考えられるでしょう。

自国の雇用創出と海外での雇用創出は、有効需要である消費性向が著しく変わることです。そして海外での雇用創出はあくまで国際協力であって、自国の為ではないはずです。なぜなら賃金が低くコスト削減になるからと言って、その商品を安く国際に競争思想で販売するなら価格競争を促すことになり、他国の経済を損なうことになるからです。そして自国の損失にもなるからです。保護政策と規制は違うと考えられるはずです。

我が国は負債も1千兆円を超す負債があり、財政再建を国際的に求められ、且つ、国債信用度が著しく悪化しているのはご存じの通りです。また消費性向が低くデフレがままならない現在、国内経済をどうするかに掛かっているのです。その中での消費税増税は消費性向を下げてしまい財政再建にはつながらないでしょう。
 それには国内雇用創出で消費性向を上げ、経済を再生することに掛かっています。(現在公共投資を促進し人手不足といっていますが、公共投資だけの雇用促進では駄目だといくことなのでしょう。)先にも述べさせて頂きましたが、我が国は年金、保険、貯蓄、証券投資が多く、貯蓄性向が著しく高く、消費が低いのです。それと雇用体系が悪化していることに大きな原因になっているのです。微視的にみれば多くの所得を得ている人もいるでしょう、しかし巨視的に見れば、そういう人と低所得者の比率はかなり違うはずです。

ケインズは巨視的経済を述べていますが、現在のエコノミストは微視的に見て評論していることは否めません。

法人税減税はその分賃金に振り分ければと言い、そして企業が内部留保にしてしまうのではと懸念していますが、もし減税した分が賃金に振り分ければ、税収が減る分賃金が増えますが、貯蓄に回ったら消費に繋がらなく、国の税収が減り財政政策が減ることになるからで、必ずしも経済再生にはならないでしょう。また減税すれば海外からの投資が増えると考えるのは、我が国に投資する魅力があるかです。

あくまで雇用創出を図る政策が現在のわが国には必要不可欠です。それには海外投資規制、いや海外から引き揚げる政策が必要でしょう。そして競争思想を改革して行くことです。規制撤廃による自由放任の経済ではだめだということなのです。

アダムスミスの国富論は決して自由放任の経済学を述べていたのでないはずです。経済は物(原材料)、人(賃金)、金(金融)がバランスよく働きあうことで、決してコスト削減や労働価値説の労働者や経営者資本家のものでないということです。まして政治家のものではないはずです。もっと経済を巨視的にハンセンのデフレギャップが大きいときはどうするか、インフレギャップが大きくなった時どうするかを参考にすべきでしょう。


低い賃金を求めて海外に投資するのではなく、恵まれない国の経済をどうするかがグローバル経済だと思うのです。それが将来自国の為になるということが、アダムスミスの国富論の概念でありイエスキリストの教えでもあるのです。
 
 最後に聖書から「『隣人を愛し敵を憎め』ということを言われているが、しかしわたしはあなたがたに言う、敵を愛し、迫害する人のために祈れ」(マタイ五章43〜44)という教えが新約聖書にあります。これは旧約のユダヤ教、イスラム教との違いで、これこそキリスト教の神髄ではと思います。古い時代から続いている中東戦争の原因はこれであり、しょうこもなく現代も続いているようで、また石油にたいする、先進国のコスト意識が拍車をかけていることは否めません。よってコスト削減による価格競争は、負の証でしょう。

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