競争力(ヤフー検索より)
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競争力 (Competitiveness) または国際競争力とは、与えられた市場において、企業・業種・国家が財やサービスを売ったり供給したりする能力と売上げの比較を語る際に用いられるバズワードである。経営管理論と経済学において広く使われる。]
この用語は市場に対しても適用されることがあり、市場構造が完全競争であるとみなされる範囲について言及するのに用いられる。この用法は経済学的に資源配分の効率性の概念を示す本来の意味での"競争"(competition)であり、個々の企業や国家が優劣を争ったり勝ち負けを付けるという意味での"競走"(race)ではないことに注意が必要である。
企業の競争力[編集]
経験的観測では、資源(資本、労働力、技術)と才能は地理的に集中する傾向があることが裏付けられている。これは企業が、製品とサービスの販売において供給者、購入者、競合者が競争優位を得るのを助けるネットワークである企業間関係に組み込まれるという事実を反映する結果となる。
資本主義経済システムでは、企業の原動力は自らの競争力を維持し高めることである。これは事実上、企業部門につきものである。
国家の競争力[編集]
経済開発における新たなパラダイムとしての競争力の概念が現れた。国内や国際的な市場において、効果的な政府の行動が限られた予算により制約され、民間部門が競争するのに深刻な障害に直面するというときに、競争力は、国際競争によってもたらされる制約や課題の認識を捕らえる。
またこの用語は広い意味で、国、地域、都市の経済競争力を言及するのに使われる。グローバル市場での競争力に目を向ける国が増えつつある。アイルランド(1997)、ギリシャ(2003)、クロアチア(2004)、バーレーン(2005)、フィリピン(2006)、ガイアナ[7]やドミニカ共和国は、審議会や特別な機関がある国の一例である。地域や都市においてもドバイやバスク国がこのような組織を設立している。
国家競争力の国際比較は、スイスのビジネススクールである国際経営開発研究所 (IMD)の「世界競争力年鑑」や、スイスの非営利団体である世界経済フォーラム(WEF)の「世界競争力報告」で行われている。ただ、国際経営開発研究所のいう国際競争力とは「グローバル企業が活動しやすい国」かということであり、国際競争力をそのまま「国力」とか「その国の企業の競争力」と理解してはならない。
2013年9月4日、WEFが発表した2013年版の国際競争力ランキングは、
となっており、スイスは5年連続で首位となっている。
国際競争力の学術的な分析は定期的な記述がおおむねなされている[14]。国際競争力を意味があるように定義し定量的に分析する、学者による組織的な努力は、国際競争力の決定要因の計量経済学モデルでなされている。
競争力指標の内訳[編集]
国際経営開発研究所[編集]
国際経営開発研究所によるランキングは、
の4つの競争力指標で構成されており、各々5つの細分化項目を設けている。
世界経済フォーラム[編集]
世界経済フォーラムによるランキングは、
から構成されている。
学者の見解[編集]
「国際競争力」という概念の実用性や誤用はとくに国の競争力という文脈において、ポール・クルーグマンらの経済学者による活発な批判がある。
クルーグマンは「実際問題としてだが'競争力'主義は、はっきりとした誤りである。互いの経済競争において、どの程度であっても、国際的な先進国はない」と論じている。またクルーグマンは、経済の貿易がある部門でもない部門でも、国の経済的福祉は第一に生産性により決定されると述べている。
また、クルーグマンは競争力向上を目指すのは根本的に誤りだとも述べる。競争力至上主義は労働者を搾取し失業率を悪化させる。民間企業の利益がそのままイコール国益であるとする考えは誤りである。2008年のリーマンショックや世界金融危機が示す教訓は、市場には自浄作用など無いということである。競争力至上主義にとらわれ、雇用の流動化を進めてきた米国と、その逆の政策を採用したドイツはどうであったか。ドイツは労働市場の規制を強めていたおかげで、金融危機のショックに対して耐性があり、米国よりも失業率は低いのである。
クルーグマンは、
と指摘している。
森永卓郎は「国際競争力が低下すれば、一般物価の下落・通貨価値の低下で調整されるのが常識である」と指摘している。
経済学者の原田泰は「日本・アメリカなどでは生活水準と国際競争力については関係ないが、韓国・シンガポールなどでは国際競争力の高まりによって生活水準が上昇する傾向が見られる」と指摘している。
経済学者の竹中平蔵は「『景気がいい』というのは単に『給料の支払いが増える』ということではなく、それだけでは物事は解決しない。経済全体・会社全体で競争力を持つことが重要である」と指摘している。
概念[編集]
経営学者のピーター・ドラッカーは、知識(技術・技能)が経済力の基礎となり、知識の生産性こそが競争力の源泉となるとしている。
竹中平蔵は「競争力という概念はどこにでもある競争力についてアメリカと日本の考え方はかなり違う。日本だと競争力をつけるという話になると、政府が補助金を与えて強くする」。
ポール・クルーグマンは「国際競争力などという概念は明確には存在しない。国家を企業と見立て貿易を市場をめぐる勝ち負けのゼロサム的認識が生んだ幻想にすぎない」と指摘している。
経済学者の飯田泰之は「さまざまな研究者・研究機関が独断と偏見に基づいて国際競争力を定義している」と指摘している。
経済学者の伊藤修は「競争力は為替レート次第で変わるため、為替レートを無視した競争力という概念は、経済学には存在しない」と指摘している。
もし国際競争力の概念に実質的な意味があるとしても、生産性に向き合う国民という事実の上に存在しており、国際競争力の漠然として間違った概念の批判と平行して、トンプソンのような系統だった厳格な試みが練り上げられる必要がある。
貿易立国[編集]
塩沢由典は、直接「競争力」概念を批判していないが、競争力概念とともにある「貿易立国」の考え方に異論を提起している。塩沢は、輸出に頼らない経済成長が可能であるといい、輸出依存型経済成長を目指していては、人々の幸福に繋がる経済成長は不可能であるとし、内需主導のサービス経済化を提唱している。
櫨浩一は、貿易立国は必要としながらも、外需依存型経済からの脱却を求め、外需依存がなぜ問題かを説明している。
経済学者の田中秀臣、安達誠司は「基本的に、短期の貿易収支・経常収支の動きを規定しているのは国内外の景気変動であり、国際競争力の低下・空洞化はまったく関係がない」と指摘している。
「貿易相手国の生産性上昇=国際競争力の低下」という命題について、経済学者の野口旭、田中秀臣は「比較優位の基本原理と矛盾した単純な誤りである。理論的にはありえるが、現実的にはほとんどない」と指摘している。また「高コストだから空洞化する」という議論については野口、田中は「比較優位を十分理解しておらず、絶対優位に基づく思考に陥っている」と指摘している。
日本[編集]
1919-1931年の経済論壇の主流は、経常収支赤字による対外準備減少を日本の国際競争力の欠如であると評価し、円高・デフレによって非効率な部門の淘汰し国際競争力を高めていこうというものであった。当時の歴代内閣の大半も、国際競争力は高コスト体質からきていると解釈し、物価・賃金の引き下げを狙ったデフレ政策を志向した。
1985年9月のプラザ合意から、円高が急速に進み日本製品の国際市場における価格競争力が低下した。同時に、労働コストが他の工業国に比べ上昇したため、日本国内に生産拠点を持っていた製造業の優位性が失われた。
バブル崩壊後の日本では「日本の国際的競争力は、経済のグローバル化の影響で低下している」「日本の産業空洞化が進んでいる」という見方が広まった。竹中平蔵は「日本の競争力の低下は1980年代から明らかとなり、バブル崩壊後、1990年代後半から顕著となっている」と指摘している。この国際競争力の低下に対応し、日本の製造業の生産拠点が労働コストの低いアジア地域に移転され、そこから第三国にも輸出されるようになった。
IMDの世界各国の競争力評価では、日本は1990年代前半まで1位であったが、2002年には30位にランクを落とす結果となっている。ランキングが開始された1989年から1992年まで日本は連続して1位であったが、2011年では59カ国中26位となった。
2014年5月22日、IMDが、年次「世界競争力年鑑」(World Competitiveness Yearbook)の2014年版を公表し、日本は世界競争力ランキングを前年より3ランク上げ21位となり、その理由として経済政策(アベノミクス)の円安効果によって輸出競争力が向上したことなどが挙げられている。
2014年9月3日、WEFが発表した2014年版の国際競争力ランキングでは、日本が6位となり、2013年から順位を3つ上げた。
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