20202
真理がわれらを自由にする
(国会図書館の玄関に掲げられた標語)

上の写真は国会図書館に掲げられている「真理がわれらを自由にする」というこの言葉は聖書の中の「わたしの言葉に止まるならば、貴方達は真理を知り、真理が貴方達を自由にする」というイエスキリストの教えなのです。真理とは?と言う事を追究すると、イエスキリストの第一の教え「神を愛し隣人を愛せよ」で、また、イエスキリストは『「隣人を愛し敵を憎め」とあるが、私は言っておく「あなたの敵を愛せよ」』と言う教えもあるのです。世界大戦で日本は敗戦の後、中国から引き上げる時クリスチャンだった中国の国民政府軍総統蒋介石が、この「敵を愛する」という事で、日本人の引き上げに手助けをして呉れた事が歴史にあるのです。これこそ世界平和の基なのです。そして「私は律法で裁きにきたのでは無い、成就(救い)する為に来たのだ」という教えは、これこそ人間に真理を教えようとしたのです。福音書で数々の教えを説いています。(尚、敵を憎めということは、旧約聖書の出エジプト記、レビ記、申命記で表現されています)

このように、自由と平等は真理でもあり、経済も全ての人の為に営むことが重要で、そこには物、人、金が有効に互いに絡み合い影響しなければならなく、そうでないと経済は良くも悪くも成るのです。今の日本は価格競争でデフレを招き、利潤の低下で経営悪化による倒産(人員削減)となり、税収の悪化が金融に頼り為替、株価の乱高下が続き、為替の乱高下が物価に影響しているのが日本の現状です。この大元が価格競争による海外生産移転なのです。そして人口減少、少子高齢化と成っているのです。そのように、今の経済を考えると以上の物、人、金が物価の安定と雇用の充実を計るには、金融が物価の動き(インフレ、デフレ)の調整の役目を担い、そして、不況になった時は政府が財政出動という役目を担う、という経済の活動循環を適切に営むという機能が全く作用していないのは、政治経済の政策の誤りが有るという事を残念ながら否定出来ないと考えられます。(リンク)

真理がわれらを自由にするという自由と、自由主義と共産主義の対立の自由と現在は考えを異にしています。それは共産主義はマルクスレーニンから来ているのですが、そもそもマルクスは利潤(労働価値、余剰利益)についての考察から始まっており、19世紀の経済社会の混乱は利潤率の低下に因ると資本主義崩壊論を説きました。これが後に、ロビンソンも静態で完全競争の下では利潤は消滅すると言った事は、マルクスエンゲルによる共産党宣言であると考えられるのです。そして、それがレーニン主義となりソビエトの共産主義と成ったのです。また、中国の共産主義は西洋マルクス主義と言われ、周恩来の影響によるものでソビエト共産主義と異にしているのです。一方自由主義は19世紀の半ば経営者や政治家の真理を失くし自由をはき違えた自由主義で経済社会の混乱が続き、やがて世界恐慌が起こった事は歴史にあるのです。そのように、自由主義、共産主義は19世紀の真理を失った経済社会から生まれたもので、思想や哲学から生まれたものではないのです。そして、現在の日本の自由主義も真理の自由と異にしているのです。そうして日本の経済社会が、真理を失くし自由だ、新自由主義だ、自由競争だ、価格競争だと言う事を続けて行った場合どうなるのかと、19世紀の社会経済の混乱から、やがて世界恐慌が起こり、第二次世界大戦が勃発した事を考えると、どうなるのかと思うばかりなのです。もう一度福沢諭吉の「経世済民」や、松下幸之助の「繁栄による平和と幸せ」を再考すべき時なのです。
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「経済学から考える自由平等」をご覧ください