経済学は聖書のまとめ
人間や生命の誕生が何時かと解明されたとしても、人間の思い考える能力は聖書の万物の創造主の神が作ったもの、という以外に考え思う事が出来ません。それを今の日本は、神を失い危うい所を歩んでいるように思っています。
良く進化論という事が言われ技術は進歩していますが、人間は進化しているどころか退化していると、哲学者のニーチェでさえも指摘していました(文庫クセジュ発行、ジャン・グラニア著、須藤訓任訳、ニーチェ110p超人より)。殆どの日本人は無神論と言っていますが、マルクスは無神論者ではありません。人間の技術的な能力は進化しもイエスキリストの言う隣人を愛せという助け協力し愛し合うという能力精神は、弱肉強食の現在退化しているのではと考えられるのです。
イエスキリストの教えは全ての人の人生に無くてはなくらない事、それをローマは342年にキリスト教を国教としました。また自分の住んでいる大網白里市の文化財である縣神社を建立した土気城主酒井定隆公は、1260年日蓮が世の乱れを案じ立正安国論を鎌倉幕府に三度も提出したが受け付けられなかった事を、酒井定隆公は立正安国論で1488年七里法華と言って、七里四方を日蓮宗に改宗し豊臣秀吉による北条氏滅亡までの戦国時代乱世の100年余り統治したことは、余りにも知られていない歴史が有るのです。(縣神社と酒井定隆)
その日蓮の法華経は聖書の写しだとも言われている事(久保有政著:法華経と聖書より)、そして、もう一つ「いろは言葉・歌に隠されたこと」として佐伯好郎氏の「景教と聖書」から下図に紹介します。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならぬ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑしもせす
として歌われ、また
色はにほえど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔いもせず
という言葉で日本中に広がりました。
このイロハ隠れ言葉やイロハ歌は真言宗の空海の作ではと言われています。その理由は、空海が遣唐使として中国に渡った時、中国には景教と言うキリスト教があり、空海は聖書を学んだ事になります。何故ならイロハ歌を7字に区切った事は、創世記2章1〜3に有る神が万物を作り上げた日数の7なのです。
イエスキリストの「隣人を愛せ、汝の敵を愛せ」と言うことは、弱肉強食では経済は成りたって行かない事を教えている事、また松下幸之助氏の「繁栄による平和と幸福」を後押している事です。現在の経済は技術が進歩していても繁栄とは程遠く、後進国並みの低成長でどうするのか、増え続ける負債をどうするのか、少子高齢者時代を作った原因は何だったのかを、経済学者、経済家、全ての政治家達(政党だけでなく、村会・町会・市会・県都会・国会議員)は猛反省すべき時だと、イエスの教えである変わることなのです。
以上からゴーン事件を考えると、こう成ります。
ゴーン容疑者は自分の経営で日産を立て直したのだと、それもリストラにより立て直し自らの懐を膨大に潤した。その中で不正が有った事が立法で裁かれようとしたが密出国で逃亡し自分の正当性を主張している。以上がゴーン事件の顛末でしょう。
日本経済が縮小(人口減少、少子高齢化及び未だに低成長を続けている)している原因はリストラだけに頼った日本の経済政策をうんぬん出来る事。それをゴーン容疑者は自分成りに主張しているのでしょう、しかし、自分の非を全く感じていない罪がある事が問題。キリスト教者とは全く思えないという事になります。以上自分の主張がプロバガンダでは無いことが分かった筈です。、
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